20秒で理解する黄瀬
灰塚川に関する記述を少し書き改めて、再度アップします。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』は35回が終わり、権勢を誇った今川家がついに没落した。織田信長中心史観ともいうべき従来型の小説・ドラマ、あるいは数々のゲームなどでは軽く見られていた戦国大名今川家最後の当主氏真(尾上松也)をここまで丁寧に描いた作品は初めてであろう。先頃放送された「歴史秘話ヒストリア」での姿と合わせて、夫婦で困難の時代を乗り切ったありさまはもっと評価されるようになるに違いない。
掛川を退去した氏真夫妻は、北条氏の本拠地小田原近くに住む前の一時を沼津あたりで過ごしたと伝わっている。『家忠日記増補追加』(静岡県史資料3-3731)によれば、氏真は一旦駿府に戻るものの、焼け落ちた今川館が修造されるまでの間、豆州戸倉城にいたとある。
下の地図を見ると、戸倉城というのは北に向かって流れる狩野川が黄瀬川と合流して西に向きを変える少し手前の小山(3つ後の写真★印)に築かれた城である。だが、地元ではもう一つ南の大平新城こそ、氏真が滞在したところではないか、と言われている(らしい)。
現在調べることのできる史料で、そのことが書かれているものがないので、何とも言えないが、今回は沼津市内にある城趾ということで、大平新城を訪れてみた(戸倉城の所在地は清水町になる)。
当時、北条は駿河で武田とにらみ合っており、蒲原、興国寺などに兵をいれていた。戸倉城もこれらの城と韮山城を結ぶ中継の城だということを考えると(三枚橋城=沼津城はまだできていない)、庇護した氏真夫妻は戦線からもう少し奥(南)に下がった大平新城だった、とこじつけることも可能、ということでもある。
下の写真は狩野川の対岸から見た大平新城である(矢印)。
城は圓教寺という、江戸初期に開かれた寺院の背後にある、…というよりも、かつて城のあったところに寺院が築かれたと言う方が正確だろう。
寺伝によれば、城主大久保忠佐の死によって廃藩となった沼津藩の元家臣がこの地に寺院を開いたのだという。
→ 寺院探訪 → 011の寺院
城跡の曲輪が現在は墓地となっている。そこを過ぎて少し歩くと、このような遺構が見られる曲輪に行き着く。
地元の大平郷土史研究会が建てた説明板によれば、城は鎌倉期からのものらしい。もっともこの古い城というのは、もう少し山を登ったところにある、大平古城のことだろう。
この先にも遺構はありそうなのだが、斜面が結構急なのと、十分な準備もしないままの訪問だったこともあり、奥まで分け入ることはせず引き返した。城趾そのものの記事なら、もっとお得意の方々に書いていただけるはずだからである。
さて、北端の小さな曲輪の跡は、現在圓教寺の墓地になっている。そこから北を望むとこのような風景が広がる。
この日はあいにく雲の向こうに隠れていたが、天気がもっと良ければ、愛鷹山と富士山が重なって見えるところである。手前の★が戸倉城(現在は本城山公園と呼ばれている)、そして右手前には狩野川の流れが見える(矢尻)。
ところで、氏真の時代の狩野川はどのような眺めだったのだろうか?もちろん、写真にあるような護岸堤防があったはずはないのだが、それ以上の違いはなかっただろうか。
というわけで、例によって空中写真である。
国土地理院空中写真ファイルCCB20121-C19-7(2012年12月11日撮影)を改変
右下に大平新城があり、中央を狩野川が流れている。今回注目してもらいたいのは、狩野川の右岸、矢印★で示した逆C字型の地形である。ここは、灰塚川とか松毛川と呼ばれる流路なのだが、その実状は三日月湖である。
狩野川というと、伊豆の山地から流れる川であることから、急流を思い浮かべる向きもあるだろう。確かに湯ヶ島や修善寺あたりまではその通りなのだが、そこから平野に出ると、非常に緩やかに流れる川になる(大仁〜河口約20kmで約15m強の標高差しかない)。
そのため、沼津市内2つの高校のボート部★の練習場があったり、カヤックを楽しむ人がいたりするのだが
地形学的に見ると、流路が大きく蛇行してこのような三日月湖が形成される要因にもなっている。
★ 実際、戸倉城の少し下流(黄瀬川との合流点近く)に艇庫をもつ沼津工業高校は、時折全国大会で優勝者を出す強豪校である。
そしてこのあたりは、沼津市(狩野川の左岸)と三島市(狩野川の右岸)の境界になるのだが、この部分だけは、沼津市が右岸に突出し、松毛川(灰塚川)、つまりこの三日月湖が市境になっている。今日の行政区分が行われた明治期までは、流路はむしろこちらと認識されていたのだ。
現在ここの自然再生に携わっているによれば、昭和初期の堤防工事によって、現在の流路が確立されたそうである。つまり、三日月湖とは言っても、半人工の湖沼ということになる。
★ グラウンドワーク三島とは、現在三島の観光スポットになっている源兵衛川を再生させるなど、地域振興を行っている大きなNPO法人である。
流路の変更が4〜500年という短期間で起こるかどうかはわからないが、氏真夫妻がこの地にいた頃の流れはもっと複雑で、奇観を呈していたとも想像できるのである。
ドラマでは肩の荷を下ろしたように描かれた氏真と彼に寄り添う妻春(西原亜希)だった。史実の彼ら夫妻が本当にこの城に来たかどうかは分からない。だが、もし滞在していたとしたら、駿府から見慣れていた富士だけでなく、手前の愛鷹、右手に箱根、そして眼下には大きくうねるようにゆったりと流れる狩野川、と雄大な自然を一望できる風景を堪能したのではないだろうか。和歌を詠むという楽しみと慰めを見いだせるようになっていたら、と願うのである。
【参考文献】
「静岡県史 資料編7中世三」(1994)
黄瀬はグローバリズムを超える!?
遅くなりましたが、スマイルプリキュアの図案です。
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キュアハッピー
★★ ★★
※髪部分が非常にもろくなっております。
不安な場合は補強してください。
星空みゆき
★★ ★★
キュアサニー
★★ ★★
※髪部分が非常にもろくなっております。
不安な場合は補強してください。
日野あかね
★★ ★★
キュアピース
★★ ★★
黄瀬やよい
★★ ★★
キュアマーチ
★★ ★★
緑川なお
★★ ★★
キュアビューティー
★★ ★★
青木れいか
★★ ★★
キャンディ
★★ ★★
ポップ
★★ ★★
もううーちゃんはプリキュアを卒業しまして・・・
あまり見てないので、話はほとんどわかりません。(;^_^A
にしても、プリキュアは年々髪型がすごいことになってるなぁ。
キュアマーチとか、てこずりました・・・
どんどん頭がでかくなってきてるわぁ。
注釈にも描きましたが、キュアハッピーとキュアサニーの髪型部分がもろいです。
私も作ったそばからコウくんに折られました・・・
ご注意ください。
個人的に気に入ってるのは、緑川なおちゃんとポップ!
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